暖かい雪中キャンプと焚き火をやりたいと思っていても,霙交じりの寒空では,腰はますます重くなります.たまに天気がいい日があっても都合がつかず,さすがにテントから職場に直行というわけにもいきません.こんな時は,道具の手入れをしたり,整理したり,と楽しみはあるのでしょうが,生憎とそういう楽しみができない性格のようです...まあ,めんどくさがりなんです.
もともと,キャンプには興味がありませんでした.熱中していたのは釣りで,それもフライフィッシング...1日休みがあると,日帰りで東京から有峰湖まで行ったり,長期に岩手やら檜枝岐やら限界まででかけてました.格好に憧れてはじめたフライフィッシングですが,一番最初は開高先生のビデオのまねして(もともとはルアー名人ですが,一話だけフライ編があります),ロンドンのHouse of Hardyで最初の道具を揃え,そのまま湖水地方からスコットランド,アイルランドと#6ロッドを抱えて旅をしてました.ほとんど独学で,ホテルで夜な夜な読んでいたのは日本から持ち込んだフライフィッシング入門(ぷっ)とHardyで購入した分厚い入門書でした.
当たり前ですが,素人に簡単に釣れるわけはなく,アイルランドからフィンランドに飛んで,スウェーデンに移動して,さらに北極圏に入ったケブネカイゼ山の麓にある湖でやっと最初のトラウトが釣れました.この辺りはヨーロッパのハイカーがとても多かったのですが,当時は山歩きには興味がありませんでした.今顧みると,釣りも良かったけど山中を歩き回ったらどんなに素敵な景色だったろうと,ちょっと(すごーく)後悔します.
その後はノルウェーを経てドイツやオーストリアに南下し,ドレミの歌*を口ずさみながらフシュル湖などで腕に自信をつけて帰ってきました.ところが,日本で釣行してびっくりです.魚は小さいし擦れていて釣れない.土産に沢山持ち帰ったフライ(毛針)は出来損ないのインド製とけなされて凹みます.日本の高度で繊細な釣り技術,毛針には全然ついていけなかったみたいです.
普通なら飽きてしまうか,技術を磨くのでしょうが,そこはとど2...下手な技術でも釣れる魚を求めて遠出することにして,遠野郷から知床,果ては礼文島までも僻地釣行をして場数を踏み,ようやく下手なフライフィシャーと自称できる程度になりました.
*ザ サウンド オブ ミュージック
もともと凝り性なので,釣りは気力,体力の限界までやっていて,夜明けに釣り初めて,昼は移動とポイント探し,午後からはどっぷりと日が暮れるまで川歩きをしてました.真っ暗になって疲れ果てて車に戻ってからそのまま車中に寝てしまうか,街に帰って宿探しです.今思うと,こけの一念というか,釣り師の執念は呆れてしまいます...(だいぶ後になって米国でも同じことしてましたが)
そんな時,有峰湖で見かけたのが,おき火でダッジオーブンを温めているキャンパー兼釣り師でした.
釣りから帰ってきたらテントと寝床があって,鍋にはあたたかい食事が待っている...なんて素敵なんだ!!!
と妙に感激したことを鮮明に覚えています.
まあ,冷静に考えてみると,食事を作る時間や食べる時間も惜しんで釣りをしていた自分に,そんな優雅なことができるわけはなかったんですけどね...
でも,強烈な印象から逃れられなくなり,釣り場にテントを張って,朝起きたらすぐに釣りができて,宿探しの心配なしに日が暮れるまで山中で過ごせる...という妄想がふくらむばかりです.そんな時に見つけてしまったのが,MOSS OLYMPICでした.
当時見たのはおそらく上記のような写真で,なんて格好いいんだろうと...一目惚れ.
今見ても,ほれぼれします.で,手に入れちゃいました...
最近見つけた当時の写真.釣りの聖地,銀山湖の旧キャンプ場です.
当時の温泉は,湖沿いのずっと奥にあって,
巨大なプラスチックケースが湯船で,ロハだったんです.
はじめてオリンピックを組み立てたときは,なんというか...周りのテントと明らかに違うデザインに赤いストライプがむしろ気恥ずかしくて,すぐにフライシートをかけて隠した記憶があります.
とても気に入っていたテントですが,やはり釣りが主体であまり使用することはありませんでした.そして,その時には漠然としかわからなかった違和感もあったのです.
当時はインターネットなんてなく,情報も今ほどは溢れてませんでした.雑誌やら口コミが主な情報源だったのですが...実はオリンピックはちょっと違ったんです.今でこそ少しずつ変わっていたモスオリンピックのデザイン情報も簡単に入手できますが,当時は良く理解してませんでした.
そう,手に入れたのは新品本物だったんですが,最新のシアトル製だったんです.機能的には改善されていたのかもしれませんが,デザインに致命的な変更があります.テントの下縁を縁取っていた鮮やかな赤がなくなり,フライシートとおなじ黄土色(防水のためだったんでしょうか?)なんです.ボトムの赤が抜けることは,このテントにあってはならないデザインミスで,ちょっとしまりのない印象になってました.
もう一つ,これは確認してませんが,古いオリンピックと縦横比が違うみたいです.なんというか,過去のデザインのほうが,底が広くて安定感がある雰囲気なんです(気のせい?).もし,初図のカタログと同じオリンピックだったら,手放すことはなかったと思います(例えモス臭が多少有ったにしても)...
このデザインで,軽量,カーボン化したオリンピックをMSRは作ってくれないかしら?
つづく...
ケブネカイゼから氷河が溶けてできた神秘の湖
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